難問はあっても日々の生活を保ち、変わるべくは変わるのを待ち、変わらざるは断念していく、というのが「問題解決」の現実かもしれません。
そうはいっても、失意や自信喪失が続くとこういったあり方に動揺が生じます。自己判断は脇に置いて誰かに委ねてみよう、ということで「治療」が始まります。乱暴な話ですが、自己流な解決に自信を取り戻し他者の手元を離れた時点で、本人としては「治った」ということになります。
ただ、この「自己流な解決」を図ることが難しい時代となりました。落ち着ける「場」がなくなり、変化に押し流される毎日となりました。幸いにも標準化された便利なサービスが近年社会を浸透しています。疾患に応じた対応も細やかとなりました。人知れず巡礼のようなさまよいを個々続けていた往年とは隔世の感です。もっとも、一般化された知識や技術に傾く事で、自分なりの手ごたえ感から却って遠ざかってしまう危険性も出てきています。深刻な状況をやりすごしていく「こつ」を見出す前に、診断や治療法をめぐる議論に飲み込まれてしまう可能性もあります。
薬も含む様々な治療法や支援機関を判別していく傍ら、自らの感覚も培って行かないといけない患者さんたちは、かつてとは異なった大変さに直面しています。漂流していく中での支援を当院なりに模索して行きたいと思います。